ぶんさんへ

ぶんさんがパートナーに望んでいることが、だいたいわかりました。

 

私が望んでいることも知って欲しいです。

 

長文になるけど、読めば私が重たい問題を抱えているのがわかり、嫌になるか、支える気になるか、いい判断材料になると思います。

 

はじめに、衰えが急速に進んでいる父

父は日中座って過ごし、人との交流もなく、食事も偏り、不眠症で、夕方4:00には体がしんどくてベッドに横になり、朝5:00前には目が覚めてしまい離床しますが、このままでは寝たきりなってしまう。

 

私はそうなる前に、父の生活リズムを整え、刺激を与え、機能訓練もして、回復して欲しいから、介護サービスか、医療入院をさせたいけど、父は言うことを聞きません。

 

ぶんさん、父を説得してくれませんか?

 

冗談ですが、父は一人残る私を不憫に思い、私の再婚を望んでいるから、もし私がパートナーを父に紹介したら喜ぶだろうし、父には男尊女卑の考えがあって男性には一目置いているところがあるから、パートナーの言うことなら聞いてくれると、私は本気で思っています。

 

それに、私にパートナーさえいたら、父は男性には頼るから、これから書く問題は起きなかったと思っています。

 

その問題とは、私には秘密裏に、父が男の私の息子(孫)を頼って、愛人が去ったのを呼び戻させようとしたり、それがダメだったから父の生活が回るよう孫に家政婦を手配させたり、そして孫がよく尽したから、父は孫を後継者にしようとしていたことです。

 

それによって、様々な問題が起きました。

 

まず家政婦の問題

父も孫も家事がわからないから、3人体制で入った家政婦さんに、仕事を丸投げした結果、仕事をサボり、調味料や洗剤などを盗む家政婦さんが出てきました。

 

父の孫もそれに気づかず、私も去年の9月から実家に行き来するようになっても、最近まで気づかず、だけど私は徐々に家政婦さんたちと親しくなって、そしたら秘密を教えてくれる家政婦さんが出てきました。

 

つまり、悪いことをする家政婦Kさんについて、教えてくれるようになったので、父にも私から伝えると、「わざわざKさんの気分を悪くさせるようなことは言うな」「お前は人を信じない嫌な性格だ」と、逆に私が父から怒られる始末。

 

私は父を守ろうとしているのに、父は自分のことが人から尊敬される特別な存在だと信じていて、家政婦さんから舐められているとは夢にも思わないから、私の問題意識がわからないのです。

 

KさんはKさんで、悪事を働く人に限って口がウマクて、たとえば父が「早く帰っていいよ」と言うと、Kさんは大喜びして見せます。

 

父にはそれが心地よくて、毎回そう言うようになり、Kさんも遠慮せずに30分も早く帰るようになりました。

 

他の家政婦さんは、父がそう言っても、勤務終了の4:00まで働きます。Kさんだけ早く帰り、やり残す仕事も出て、それを他の家政婦さんがやることになるので、「平等にしてもらわないと、やってられないです!」と不満の声も上がっています。

 

Kさんは、早く帰るために、夕食を決められた時間より早く父に出し、それが父の生活のリズムを狂わせ、以前は夕方6:00まで起きていたのが、5:00になり、4:00になった原因なので、言ってみればKさんが父の健康を害したと言えます。

 

それでも、父は何の対処もしないから、もう父に何を言ってもムダだと思い、今は私がKさんに目を光らせ、悪事を働かないようハッキリ言うことは言って、家政婦さんたちの統制をはかっています。

 

どうせこうなるなら、最初から家政婦さんのことは私に任せたら良かったんです。

 

そうすれば、亡き母が大事に保管していた大量の洗剤を、初期の家政婦さんに盗まれたことも、後になって他の家政婦さんの通告でわかり、亡母の思いを踏みにじられて私は悔しくてたまらなかったんですが、それも回避できたんです。

 

次に後継者問題について

父はとんでもないことに、孫を後継者にしようとしていましたが、それは一般的な「家」を継がせるという意味ではありません。

 

高所得だった亡兄でさえ、父の大きな屋敷を維持するのはムリだから、売却することになると言っていたので、ましてや低所得の孫のことですから、孫に家を売却させ、そのお金をやるという意味です。

 

それが2つ以上の問題を起こしました。

 

1つは、そんなことをしたら、すでに父が書いた遺言とは一致しなくなるので、相続で揉める可能性が大きくなります。

 

私は相続で揉めることが、前から嫌で嫌でたまらなかったので、絶望感で死にたくなりました。

 

息子の豹変について

もう1つの問題は、お金は人を変え、息子が豹変したことです。

 

後継者になったつもりの息子は、「お母さんにはお金の管理もできないから僕の言うことを聞けよ」などと言ったり、父と一緒になって私をバカにしました(父は愛人騒動のころから、異常に私をけなすようになったんですよ)。

 

私は、母親を、親とも思わないような息子が、人生を誤ってしまうのではないかと心配になりました。

 

また、父が、お葬式まで孫に任せたと言ったから、「私という娘がいるのに、私の立場はどうなるの!」と父に叫んで泣き崩れ、心も崩れて、父を捨てようと思いました。

 

ところが、その矢先に、大逆転が起こりました。

 

孫がキレて父から去ったんです。父も孫を寄せ付けなくなりました。

 

原因は、父が「仕事を辞めて俺の執事になって傍にいて世話をしろ」と孫に要求したからで、それができないなら何もやらないし、すでにやったものを返せとも言ったのです。

 

私は息子が可哀想にもなりましたが、これで息子は人生を誤らずに済むと思い、同時に相続のことで死にたくなっていたのが、元に戻ってホっとしました。

 

入浴のヒヤリハット

一方、息子はもう介護を担ってくれないし、私が1人で介護を背負うことになり、またあんなことが起きたら、どうしようと思いました。

 

父は、浴槽で溺れかけたことがあるのです。

 

口を酸っぱくして『見守りの無いときは入浴しちゃダメ!』と言っていても、父は言うことを聞かずに、ある早朝、私が起床する前に入浴してしまい、浴槽から立ち上がれなくなりました。

 

血圧低下でも起きたのか?原因はわかりませんが、私が起きてくるまでの1時間ほどはお湯に浸かったままだったから、体中の力が抜けてふにゃふにゃで、父は鉛のように重かったんです。

 

なんとか火事場の馬鹿ヂカラで浴槽から出して、父はしばらくして元気になったけど、私の体に、その日の夕方、異変が起きました。

 

震えが止まらなくなり、胃の当たりに激痛を覚え、心筋梗塞を疑ったけど、夜には血尿が出たので、あの痛みは腎臓の痛みだったことがわかりました。

 

そのときは息子が私の代わりに実家に泊まり、私は2週間くらい自宅で休むことができて、回復もしましたが、今後、もし似たような問題が再び起きたら、もう息子は私の代わりに泊まってくれないし、娘も子育てと仕事で一番忙しい時だから、私の代わりを頼めません。

 

やるしかないけど

この先も、私は1人で、看取りをしなければならないし、法事などを済ませなければならないし、相続の後には実家を売らなければなりません。

 

私の子供たちが、どれだけ協力してくれるかわからないから、たった1人でやる覚悟はしています。

 

でも、その上、相続で揉めたらアウトです。それには耐えられません。

 

揉めると言うより、私は会いたくないのです。兄嫁と子供たちに。

 

母の相続時、兄嫁が「私には相続権はないけど、子供には世襲相続権があるから」と、子供たちを家庭裁判所に連れてきましたが、思い出すだけで胸が悪くなります。

 

私には兄を死に追いやった人たちにしか見えないから。

 

兄嫁は介護だって一切していないし、子供たちはお見舞いに来たこともありません。それでも権利を主張し、お金だけはもらうなんて、恥を知れ!という思いです。

 

亡兄も親の介護をする前に死んでしまいました。

 

もし亡兄が介護をしてきたなら、その功績をたたえる意味で父の財産を受け取るのは当然だし、子供たちが兄の代わり受け取ることに納得できますが、母のときから計算すると11年間も親の介護をしてきたのは私だけです。

 

だから、介護しなかった者には一銭たりとも父の財産をやりたくない思いです。それは父も同じで、この思いだけは私と共有しています。

 

別に介護をしなくても、兄嫁や子供が路頭に迷うというなら、助ける意味で父の財産が渡っても納得できます。でも、路頭に迷うどころか、亡兄の財産が妻子には入ったのでセレブレベルに暮らして行けます。

 

それでも、いかれた法律があるから、遺留分はくれてやります。

 

でも、遺留分以上にならないよう、父は(母も)実筆遺言を残しました。

 

さらに、公正証書遺言なら、家庭裁判所に相続人全員が集らなくても済むので(私の気持ちが楽になるから)、この4月下旬に父に作ってもらいました。

 

実際には、地獄のような出来事で、父の体調が悪化して、作成当日「体つらい、歩けない、行きたくない、キャンセルしろ」となり、やっとの思いで私は下準備もしたのに、このチャンスを逃したら二度と公正証書は作れないと思ったから絶望しました。

 

でも、1人残る私のために力を貸してくださいと、父に土下座もして、何度も頼んで、父のムリを押して公証役場に連れて行くことができました。

 

公証役場では、公証人が遺言の内容を読み上げ、これでよろしいですか?と父に確認したとき、「当たり前だ!」と父が怒りをぶつけた場面もありました。

 

父の怒りは、『自分の財産なのに、こんな大変な思いをしなければ、やりたくない人に渡ってしまうのか』という杓子定規な法律への思いから爆発しました。

 

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お読みいただきありがとうございます。
嫌になったら、お返事は結構です。

昨日は自宅に泊まってきた

これまでのサイクルと言えば、土日を自宅に泊まり、月曜に実家にもどっていたんだけど、父が衰えてきたから、もう連ちゃんで私が夜いないのはキツイと思い、土曜日だけ自宅で泊まってきた。

 

だけど、最低、週2日は自宅に泊まりで帰りたいから、次は用事のある4日に泊まる予定だ。

 

連ちゃんで自宅で過ごすと、自分の用が色いろ出来てよかったけど、しょうがない。f:id:gkotomi:20210502195556j:plain今回、自宅でやったことは、メインは衣替え。

 

これからの季節、芝生の管理が大変になるから、衣替えのような面倒なことは早く済ませたかったんだ。

 

本当はナチュラルフード講座の実習もやりたかったけど、1日の過ぎるのが早いこと! 実習までできなかった。

 

実家にもどったのは、今日の午後2時頃だったけど、もどるまでの私の気分ったら、なかった!

 

だって、最近の父は不機嫌なことが多くて、それは体調が悪いからなんだけど、私に当たり散らしたりするんだもの。

 

聞き流しているつもりだけど、気分が落ちて、落ちたままじゃダメだと思って、自分で這い上がってくるんだけど、とてもじゃないけど楽しく嬉しく幸せな気分には至らない。

 

そんなとき、たとえば小林正観さんの教えに励まされる。


人は喜ばれるために生まれてきたと言う。


だから、どうしたら喜ばれるか?だけを考え続け、自分の思い通りにするにどうしたらいいかなんて考える必要はない、そっちはボ~っとしてればいい。


そうすれば嬉しく楽しい幸せな道に自ずと運ばれて行くんですって。

 

私が不機嫌な父に我慢するのも、そのため。


父が寝たきりにならないよう、嫌がる父にもっとリハビリを勧めるのも、そのため。

 

もちろん実家に寝泊まりするのも、安心して夜を過ごせる父のため。


父には私の気持ちがわからないみたいだけど、私が父を大切に思っているのは真実だもの、これでいいんだと思えた。

弱って行く父を見ているのが辛い

今日は父を眼科に連れて行った。
(写真は、この4月に温泉に行った時のもの)

 

父は体がしんどいから、眼科の待ち時間にも、検査している間にも、とても不機嫌で、スタッフさんに文句を言う始末だった。

 

以前の父は、前からワンマンではあったけど、態度だけは温厚な人だったから、まるで人格が変わってしまったかのよう。

 

原因は、やはり老苦と病苦がそうさせるんだよね。

 

私は眼科にいる間じゅう、ずっと父の背中をさすってあげていた。

f:id:gkotomi:20210430225632j:plain父はふだん動かないから(ほぼマッサージチェアに座って一日を過ごす)、足腰の衰えが、本当にこの半年で目立ってきた。

 

自力で立っていられない位で、立位ではフラつくので、私の肩に捕まっている父。

 

このままじゃ寝たきりになってしまうから、少しでも毎日、歩くよう促しているけど、「暖かくなったら歩く」と言って先延ばしにする父。

 

体のしんどい父を、強引に歩かせるのも可哀想だし、そもそもそれに従うような父じゃない。

 

このまま父の衰えが加速していくのを、私はただ見守ることしかできないのか。

 

泣きたくなる時がある。

父の介護中に始めたナチュラルフード講座

講座の実習1回目は玄米を炊く。

私は講座を受ける前から、玄米を電気圧力鍋で炊いて食べているので簡単にクリア。

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実習2回目は、野菜だけのおかずで作るランチプレート(春夏版)。

わかめとレタスの長いもドレッシング和え、キャベツと煮大豆の炒め物、煮カボチャ、味噌と胡麻の冷汁。

それに玄米ご飯。

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お腹にたまるのがカボチャだけなので、一番おいしく感じた。

しかし、これだけじゃ満腹にはならないよ~~

いかに自分が普段、食べ過ぎているか、だよね。

 

運転免許証を紛失したって感謝!

今日は父の固定資産税の支払いを、代行することになっていた。 

 

それを、朝7時ごろ、すでに起きていた父に伝えたら、いつものことだけど父の物忘れからスムーズに事が進まなかった。

 

1から説明をして、支払うお金を預ったけど、父は怪訝そうに私にお金を渡し「頼むよ」の一言もないから、父に代わって私が支払いをしてあげることを、父は理解しているんだか?いないんだか。

 

それから、固定資産税のこととは別に、ずっと父の運転免許証の更新がいつなのか?今年なのか?気になっていたから、父に聞いてみた。

 

やっぱり父は把握してなくて、それどころか免許証のあり場所を忘れていて、私があちこち探し回った末に、やっと父の免許証を見つけ、更新時期は確認できたんだけど、そのときだった。

 

天の啓示のように『私自身の運転免許証も確認しなきゃ!』と心が追い立てられた。

 

そして、いつもの保管場所をチェックしたら、無いではないか!!

 

私は4月7日に運転免許の更新をしたばかりで、それを境に紛失してしまったようだ。

 

それこそ、父の『免許証探し』以上に探し回り、どうしても見つからなくて青ざめた。

 

朝の8時ごろだった。

 

それからが、ドタバタ騒ぎで、ネットでも調べたけど、朝8時半から電話を受け付ている運転免許センターに対処を聞いて、まずは警察に紛失届を出した。

 

警察への紛失届は電話で済むから助かった。

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それから再交付をしてもらうために、かなり遠い運転免許センターまで駆けつけた。

 

それも、免許証が無いままだと、私は運転できないから(と警察で釘を刺された)、急遽、ムリヤリ、父のお手伝いさんに送り迎えを頼んで駆けつけた。

 

そして、11時頃には、晴れて免許証の再交付となり、どこにでも運転して行ける自由の身となったことが本当に嬉しかった。

 

そうなった後で、予定していた固定資産税の支払いもできたし、他にもやろうやろうと思って先延ばししていた『古き懐かしきレコード』を整理し、それをハードオフに売りに行ったりした。

 

父の運転免許証の更新については、朝の時点でこの6月だとがわかったから、父に伝えると、「もう更新しない(つまり返納する)」と自ら決断してくれた。

 

あれは、去年の暮れごろだったか?

 

父が「自分で運転してくる!」と言って、止める私を振り切るのに暴れたことがあり、あの時はとても困ったけど、あれが父の運転への最後の執着だったんだなぁと思って、ちょっと切なくなった。

 

だけど、ネガティブな思いは、サラっと流す!

 

免許証紛失の件もそうだけど、以前だったら気が重くなっていたと思うけど、今は嫌なことが起きるたびに「これで1つカルマを解消できた」と思って感謝している。

 

だって、苦しんでいると、苦しくなることを呼び寄せるだけなんだもの。

 

苦しいからこそ、感謝して、感謝できるようなことを呼び寄せるの。

通信のナチュラルフード講座を今日からスタート

父の世話が、この先もっと忙しくなるかもしれないから、受講しても続かないんじゃないか?お金もムダになるんじゃないか? さんざん迷ったけど、やりたいことは、今やるのが大事だって心が決まった。 

 

ナチュラルフード講座を学びたかった理由!!

 

それは、ナチュラルフードが私の健康を取り戻してくれたから。

 

私は2019年の秋、大動脈解離を発症し、命拾いをして2か月後には退院した。

 

そして、退院後に、食事と運動で健康を取り戻して行ったんだけど、食事も運動もネットから情報を得てやってきた。

 

食事に関しては、辿り着いたのは、プラントべースホールフードと言って、要は自然食で、脂質をできるだけ避け、野菜やキノコや海藻類で、食物繊維やミネラルやファイトケミカルをたっぷり摂る食事。

 

ビーガンやベジタリアン、日本の玄米菜食やマクロビのような食事。

 

ネットで色んな知識を得ることはできたけど、体系的に学んでみたいと前から思っていて、それに何よりプラントベースホールフードのレシピを、たくさん学びたかった。f:id:gkotomi:20210422213310j:plainこんな感じの料理を、自由自在に作れるようになりたかったんだ。

 

 

余談だけど、私が大病をした2019年の秋~退院した11月と言えば、新型コロナが武漢から起こり、日本にも蔓延しはじめた頃だった。

 

退院したとは言え、大動脈解離を処置しただけで、糖尿病と高血圧の基礎疾患があったから、それを治さない限り再発への恐れがあるし、コロナ感染への恐れも加わったし、実は私にはガンの疑いまで出てしまい、何もかもが恐ろしかった。

 

病気になってはじめて、一人暮らしの頼りなさ、寂しさ、孤独死への恐怖も思い知ったしね。

 

あのころは鬱状態だったよ。

 

それでも食事と運動だけは頑張れた。

 

だって、頑張れば頑張っただけ、血液検査の結果がどんどん改善するんだもの、健康を取り戻したい気持ちだけは持ち続けることができたの。

 

最終的にはヘモグロビンA1cは5,8%まで下がり、血圧も下がり、薬を大幅に減らすことにも成功した。

雨降る中、父を緊急外来に連れて行く

いつものように朝の挨拶をしに行くと、「きのうは一睡もしてない!」と怒りをぶつけて来た父。


ここのところ、毎日そんな調子。

 

父がそんな風になるのは、体がしんどいせいだとわかっているし、足腰が弱わってほぼ一日じゅう座ってすごし、人と会話もないから(私やお手伝いさん以外は)刺激もなく、だけど体は起きてるだけで疲れ果てる。

 

夜ぐっすり眠って疲れを取りたいのに、眠れないのだから、父の日々は拷問めいている。


それでも、父は、朝にはちゃんとベッドから起きて、座って過ごすことで寝たきりにならないようにしているし、日中に横になれば楽でも、それをしたら寝たきりになるから、父は戦い続けている。

 

だから、やり場のない怒りくらい、私にぶつけてもいいよ。

 

我慢するから。

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今朝の父は、よほど体がしんどかったようで、「病院に行きたい」とも言ったから、土曜日だったけど、すぐにかかりつけの病院に診てもらう手筈を整えた。


病院に行き、採血すると、父の血管が細くて出なくて大変だった。


静脈が出ないから、動脈にまで針を刺し、少しは採血できたけ動脈は強烈な痛みがあるから父は耐えかね、先生に「痛いよ!」と怒鳴り、先生も断念、結局足のつけ根の血管から採血した。


待ち時間は、はじめてベッドで寝かせてもらい、病院内の移動は、はじめて車いすを借りた。

 

父の身体レベルは明らかに低下している。

 

ただ、血液検査の結果は、良くも悪くもなく横ばい状態だったので、心から父の回復を祈る。

 

睡眠薬の常用は、認知症になるからと、断固として父は飲まずに来たけれど、睡眠が回復のカギ!だから、「もう飲んだ方がいいよ」と父への説得を試みた。

 

父は医者だったから、素人の私の言うことなど、これまで聞こうとしなかったけど、今日は眠れれば何でもいいと思ったみたい。

 

担当医の先生に睡眠薬でも軽いものをリクエストすると、睡眠薬とは違うけど似た作用のある安定剤を処方してもらった。

 

PS。

睡眠薬のような安定剤を飲んだ夜、父は久しぶりにぐっすり眠れた。